歴史と文化のまち稲沢~浅井神社

浅井神社(あさいじんじゃ)
               所在地:愛知県稲沢市浅井町宮西305


 稲沢市役所から近距離(西北西1.5キロほど)の位置に鎮座している。すぐ東北側東海道新幹線が通っている。式内社・旧郷社でありながら社地は狭く、入口の鳥居をくぐると、もう目の前が拝殿である。拝殿の奥に本殿が造作されている。
 本殿は写真のように一段小高い位置にあって、本殿へは石段を上がっていかなければならない。祭神は小子部連錆鉤(ちいさこべのむらじさひち)。一般的にはあまり耳慣れない神名かと思うが、『日本書紀』の天武紀にも記述がみられる人物である。ここでは式内社調査の記述には「小子部連錆鉤は壬申の乱に際し、尾張国司であり、この地に二万の軍勢を集結し尾張大国霊神社に戦勝祈願を行った。その後、不破の関に赴き大友皇子の軍勢を破り大海人皇子の大勝を導いた。」とある。
 だが、これだけの軍功をあげながら小子部連はなぜか自殺をしてしまう。大海人皇子は首を捻ったというが、皇子でなくとも不審に思うこと請け合いである。このため壬辰の乱の記述中で、小子部連の名は感傷と不可思議に包まれている。
 社伝によれば、当社は戦国期に荒廃し、江戸期には旧地不詳となってしまった。それを近在の氏子たちが天保11年(1840年)に現在地に復旧したという。
 式内社調査には境内社の記載がないが、「尾張式内実訪書」や「「愛知の式内社」には八井命を祭神とする天神社の存在が記されている。
 浅井地区は在のものが少なくなり、年行事などの伝承がむつかしくなってきている。浅井郷と称された往古がなつかしく偲ばれる。
 神社の南80mくらいにはには二重の塔が美しい明蔵寺(真宗)が控えている。